2004年08月15日

●59年目の終戦記念日に思う

今年もまた終戦の日を迎えた。
この日記でも戦争のこと日中関係のこと日韓関係のことよく話題にしている。たぶん、中国人、韓国人が見ると怒りがこみ上げてくる内容も多々あるんじゃないかなと思う。
今日は、せっかくの終戦記念日の節目の日なので、真面目に今思うことを整理して記しておこうと思う。

日本が戦争に負けて59年。ここ10年来、中国と韓国から、戦後責任を問われ、未だに戦後を引きずっている。
日本人の若者は、あの戦争を知らなさ過ぎると言われ、中国人の若者は、あの戦争の被害ばかりを知り過ぎると揶揄されている。

今年もNHKでは、戦争関連のドキュメンタリー番組が連日報道され、原爆の被害や下級兵員の苦しみ、満州国での日本人の半強制労働など、戦争による被害や苦しみばかりが強調されている。

よく中国から「歴史を鏡とし・・・」って聞く。

現代に生きる若者として、過去の日本が起こした戦争の歴史を見て考えるべきことは、そうした悲惨さを知ることはもちろんだけれども、最も重要なのは、その悲惨な結果につながる「原因」を考えていくべきだと思う。それも中国や韓国の若者たちと共に・・・。
悲惨な結果だけでは、それを体験した世代が少なくなるにしたがい、その現実味が薄れ、身に迫ったものとして想像することが難しいし、何の解決にもならないと思う。

60年も前の戦争による被害を知り、それへの謝罪で、アジアが平和になるとは思わない。
平和憲法を抱き平和をただ念仏のように唱え続け武力を削減するだけで戦争が起きないとは思わない。
戦争は悲惨だから避けなければならない、戦争は間違ったことだ、という言い続けるだけで、戦争が無くなるとは思わない。

今、我々現代に生きる若者がすべきことは、
 なぜ悲惨な戦争が起きてしまうのか?
 なぜ争いを抑えることができないのか?
その「なぜ?」を問い、原因を分析して、戦争を理解するべきことではないだろうか。
そして、その原因は多角的であるべきで、いろんな視点を許容すべきだ。
当時の日本政府の、中国国民党の、中国共産党の、アメリカ政府の、それぞれの立場から、それぞれの戦争に至る原因があるはずで、決して原因は一つではない。

歴史の「結果」だけではなく歴史の「原因」を知ること。
それが歴史を鏡とすることの現代的意義ではないだろうか。


今の中国人韓国人の日本に対する状況、日本人の中国韓国に対する国民感情の変化、、、
1930年代後半の状況と似てはいないだろうか?
昨今の中国、韓国からの様々な圧力があったおかげで、多くの日本人がそれらの実態を知ることができ、特に中国に対する親中国的な幻想が急速に無くなりつつある。そして、日本の世論がどんどん排他的になり、強硬的になりつつある。
今こそ、日本の中国の韓国の若者が共に、歴史を鏡としていく必要があるのではないだろうか?

今日の報道2001はなかなか凄かった。
石原慎太郎と桜井良子が出演していて、数年前では絶対に放送されなかった本質的でありながらも、排他的な言論が飛び交っていた。今なら、森前首相の「神の国発言」も問題ないんんだろうと思う。
もうしばらく中国、韓国の日本に対する圧力があれば、石原さんの言説が多くの国民が納得できてしまうくらいになるだろう、、、。

それが吉と出るか、凶と出るかはわからない。

これからまた北京での生活が始まる。
今の日本の変化が、吉へと向かうように、中国人の若者たちと交流をしていきたいと思う。

Posted by tkm at 2004年08月15日 21:13
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