2006年08月01日

●もうかれこれ10年続くまちづくり活動 in 栃尾

後輩のnobirunruが提案内容に対する価値判断、判断基準に関してコメントしていて、鋭い視線を投げていたので、ちょっと受け止めてみよう。

おそらく造形大チームは、自己主張できるほどまとめきれてなく、場のコンテクストを読み取り、それが形にどう表現されたかしかプレゼンできなかったのでは。しかし結果的にそれが「好き」「嫌い」のイメージ以外で議論を喚起したということでしょう。他チームも中間発表の際にどこにプレゼンの比重を置くのか、ただそれだけのことだと思われます。そのあたりは学生が意図的に誘導することもできるのではないかと思います。

個人的には「この場において屋根の形状はこうであることが望ましい」というような「適している」という評価基準に対する見解の共有は却って思考の幅や選択の基準を狭めさせ、強いては創造の質を低下させる気がしてなりません。

この形態がどうしてこの場所に適しているのか、なぜこのような形態になったのか等、それらはあくまでもひとつの評価軸であって、それがすべてになっては危険です。それは優れた提案を封殺する可能性も少なからずあるからです。提案すべきは、モノだけではなくて質であるべきだと思います。その質の差異を的確にプレゼンし、それらが現実問題となる形態への評価とこは違ったひとつの大きな評価軸であるべきです。モノは現実の施工において少なからず変更されるのは必然で、提案に込められた質こそ魂であり、それを壊さない程度であるべきだと思います。

そうした意味で、見解がある程度共有され、形態がひとつに集約されていくことに若干否定的ではあり、また一方でそうした指標を明確に示し、選ぶ人の責任の重さを自覚させたりすることは、却って住民の参加意識を低下させる気がしてならず、まちづくりの本質部分を欠落させる可能性さえあります。

一方学生にとっては、自らの提案が選出され実現されればもちろんすばらしいですが、住民に理解され選ばれることがすべてだとは思えません。毎年、落選した提案の中に、より優れた建築提案が隠されていることは否めませんし、住民の人気を集め、実現したから優れた提案であるとは言えません。住民の意見に迎合する必要もなく、たとえ理解してもらえずとも、優れた建築的視点を持つ提案を行うことが、学生として建築を追究することの姿勢だと感じます。

ここ栃尾の活動では、日常である空間に、何かハッと気付かせる力があり、日常であった空間が違う空間へと転化し、新たな空間の質が生まれる可能性のあるモノが個人的には好きな提案です。

したがって、「状況から導かれる形態の輪郭らしきもの」だけでも足りなく、「(住民受けする)抽象的なコンセプト(モチーフ)」だけでも足りないでしょう。もっと一歩踏み出したところに学生自身は軸足を向けてほしく、住民の好き嫌いという基準ももちろん尊重しつつも、そうした言葉に迎合することのない学生の姿勢がよほど学生自身にとって重要のような気がします。

Posted by tkm at 2006年08月01日 15:37
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