2006年09月29日

●北京ダックもまだまだ使える

昨日、一昨日と二日連続で仕事のやり方や待遇に関して、一番気性が荒いけれども能力のある一人のスタッフと激論を交わしていました。もう辞めそうな勢いのまま、昨夜は怒りのまま帰宅。もう疲れ果てて、ついつい酒に手が伸びた二日間。

今朝、いつもどおり出勤し目前の仕事をこなしているも、その背中からは、イライラ感が伝わってきていました。

今日は国慶節前の最後の出勤日(といっても日本の会社なので来週も暦どおりの出勤ですけど)、特別差し迫った仕事もないので、昼は皆を連れ北京ダックの便宜坊へ。腹いっぱい北京ダックを食べて、適度にアルコールを入れて、、、午後から改めて仕事。

・・・・・・

その彼、食事中から態度が一変、急にウキウキ。前日の激論のことなどどこへやら、、、。こちらは昨夜からある程度覚悟を決めてハラハラしながら彼を見ていたのですが、、、。

・・・単純です。
目の前にパンをぶら下げておけばどこまで走りつづけるのか・・・
あまり食べたいとは思わなくなっていますが、、、北京ダック、まだまだ使えますね。

Posted by tkm at 16:08 | Comments [0] | Trackbacks [26]

2006年09月24日

●北京商品房の家族像は?

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遅ればせながら、「私たちが住みたい都市」を読み終えました。いろいろ思うところがありますが、今、非常に気になっていること。

TKMは小さい頃からnLDKという住宅には住んだことがなく、この本に記されている状況を実体験としては見れません。現在の北京の住宅ももともと2LKというような戸型だったものを大きなワンフロアのように使っています。したがって、nLDKにまつわる様々な現象は、そんなものかなぁ~と俯瞰的に見ている感覚です。
読後、こうした日本の住環境を斜め上から俯瞰しつつ、現在、海を飛び越え、北京的状況はどうなのだろうかと、思考をめぐらせています。

各年代とも10年前に住んでいた住宅と、現在の住宅とでは雲泥の差です。また共に住む家族は、今も昔も祖父母と住まない二世代核家族のままで大きく変化していない模様。それなのに、経済効率優先の住宅供給は、100平方メートルを超える大戸型に偏重している気がしてなりません。
ただ単に、その昔シャワーもトイレもない一室もしくは二室の住宅に、家族三人または四人が一緒に寝起きをしていたものが、現在は家族三人で部屋が二室三室となり、家族が一人減る一方、部屋数が増えるという不思議な状況が比較的多いのではないかと感じます。
大きければ大きいほどいい、多ければ多いほどいいという拡大思考が住宅に無駄を作っているのかもしれません。
そういえば、今までまだ一度も三世代が共に住んでいるという商品房というのを見たことがありません。聞くところによると、独立して生活する祖父母の一方が亡くなり、一人身になった時点で三世代の居住をはじめるのだとか、、、。

北京に大量供給されている大戸型にはいったいどのような家族像が住んでいるのか。
大戸型の住区脇を通り、ぽつぽつとしか電気がついてないマンションを眺めながら思うこのごろです。

Posted by tkm at 09:55 | Comments [0] | Trackbacks [9]

2006年09月13日

●中国人スタッフが自ら動く状況作り

日ごろこちらで人をこき使って(?)モノを作らせていますが、さすがにこうした業務を二年も見つづけていると、それら専門的な技術部分も自分で一通りのことはできるようになってしまっています。
そのため最近はついつい人にやらせるよりは自分で手を下した方が早い、という事象が多々あり、それもTKMの方が手が早いという状況になりつつあります。こちらでリーダーとして中国人スタッフをコントロールしていくわけですが、ここはグっと堪えてなんとしてでも自分で仕事をしないようにしています。

 しかし、、、、、、

中国人スタッフは、指示された内容通りにしかなかなか動いてくれません。それも100伝えた内の100をしっかりこなしてくれればいいのですが、大概80-90の出来栄え。
100伝えて120の仕事が出来るようにするにはどうしたものか。

スタッフが自ら考え自ら行動に移すようになるにはどうしたらいいのか。最近そればかりを考えています。

Posted by tkm at 15:45 | Comments [2] | Trackbacks [77]

2006年09月11日

●県人会参加

実はTKMは富山人です。
富山→石川→新潟と日本海側で育ち、結局海から昇る太陽を見ることなく、なぜか日本海を飛び越え、半島を飛び越え、北京に来てしまっています。
ここ北京で、第一富山人発見は、xiaomiさんでした。それも最初に知り合ってから数ヶ月経た後に知りました。そこから、ひそかに(?)活動していた富山県人会なるものの存在を知り、今回参加に至ったわけです。

富山人という雰囲気の漂わない富山県人会。。。
なかなか不思議な集まりでした。

福家楼で食べきれない食事をした後は、地蔵へ移動。
夜遅くまで語っていました。。。

今後ともよろしくお願いします。

Posted by tkm at 11:36 | Comments [0] | Trackbacks [16]

2006年09月06日

●中国で、アク禁サイトwikipediaを利用する方法

百科事典のwikipedia、中国からはアクセス禁止になっていて、串を通さないと見れませんでした。しかし、今日偶然発見したのですが、goowikipedia記事検索ってあるんですね。
ここでwikipediaと同様な検索結果が出るようです。残念ながら編集等の機能は使えませんが、検索して調べ物をする程度ならば、十分使えます。

これって、中国在住の皆さんの常識?TKMが知らなかっただけ??

Posted by tkm at 20:09 | Comments [2] | Trackbacks [22]

2006年09月03日

●日焼けにあこがれる?

夏休みが終わり日本では、子供たちが日焼けを自慢しているところでしょうか。その昔、日焼けしない体質のTKMは夏休み明けの周囲の友人たちの黒く変化した身体を眺めてはため息をついていたのを思い出します。
今でも、その白い肌のまま、、、一時的に焼けたとしても赤く焼け爛れ、あまりいい思いをしたことがないこの肌。しかしここ北京では、白い肌であるだけで人の見方が変わります。

今、道端にはこの夏に日焼けしたと思われる真っ黒な肌の人とたちをよく見かけます。そう、それらは民工(出稼ぎ労働者)たち。
中国では、日に良く焼けた身体を、「健康的だ」とか「カッコイイ」と思われることはなく、通常、単なるブルーカラーと見られ、否定的に見られてしまいます。そのためTKMのような白い肌を見ると、ホワイトカラーだとか研究職だとか言われ、ただそれだけのことなのに、階層の高い人だと見られてしまっています。

そう見られるたびに、なんだか心地よい気分にさせられるのですが、、、そうした心境で街を歩くと、いつもの民工たちの眼差しがより一層痛くも感じられ、複雑な心境の9月です。

Posted by tkm at 10:47 | Comments [0] | Trackbacks [20]