2005年05月23日

●恥ずかしながら自己紹介

2003年夏より、北京清華大学建築学院へ1年間の交換留学を終え、そのまま北京にて建築関連の職種に就くことになりました。建築のこと、北京のこと、いろいろな情報を発信していきます。
インターネットというツールを活用して、多くの人と出会えることを願っています。

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名前:渡辺たかみ
Handlename:TKM
E-mail:tkm@archi.design.co.jp
IM:MSNmessenger (tkm_wtnb@hotmail.com)
血液型:AB
誕生日:4月28日
出身地:富山
経歴:富山→石川→新潟→北京
好きな食べ物:かに、いくら、えび、水煮魚
嫌いな食べ物:かまぼこ、すりみ(魚の練り製品)
PC:初代Let's note W2(発売日当日に購入)
PC歴:高専入学時(1993年)より、パソコンに向かうと頭が痛くなるが、今は無いと仕事にならない

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富山生まれ。チューリップに囲まれて温かい家庭に産まれる。
幼少時代から両親の働く住宅建築現場で育つ。足場の上で働く母に「ママおしっこー!」と言い、母が降りてくるのが間に合わずもらしていた。少年時代、何か人と違うことをやりたいと、チューリップ写生大会では、黒いチューリップの絵を描き、秋の写生大会では、自分の目とそこに反射する風景を描き、書初めでは紙からはみ出す字を書く。また、音楽合奏では、太鼓、トライアングル、シンバルなど、必ず一人だけの楽器を選び、テープ録音を聞いては、自分の下手さにショックを受けていた。このころ、週末になれば、父と一緒にハウスメーカの住宅展示場を周り、住宅建築を意識しつつ、新しい家の匂い(シンナー)にトリップしていた。
中学時代、体に似合わず柔道を志す。3年間で昇段試験に合格するまでに上達。その後、何回かの交通事故にも受身をとり無傷で生還。3年の夏、アメリカへのホームスティプログラムに参加。はじめて日本人であることを強く意識する。成田を襲った台風のおかげで帰国が延び、ワシントンDCを見学。アメリカン・ボザールの建築に見とれる。高校受験、大学進学を目指す進学校には行きたくないと言い張り、早くも15歳にして建築への道を志す。隣県の石川県にある高等専門学校の建築学科に進学。中学を卒業後親元を離れ寮生活に、、、悪い遊びや霊感に目覚める。一方学業では、優れた指導者および先輩方との出会いにより、建築を見る眼が養われる。数々の設計コンペティションに応募し、幾度か入選。さらに、日本中へ建築見学の旅行に出かける。
5年間高専にて建築を学び、まだまだ学び足りず大学進学へ。3大学の編入試験を受験し、スキーのメッカは新潟と考え、新潟大学を選び進学する(半分ウソ)。スキー場が近くにないことにショックを受けつつ、総合大学であることをメリットを生かし、いろんな講義にもぐりこむ。
4年になり大地の芸術祭を通じて、東頚城郡松代町と出会う。そのまま町をフィールドとし、卒業設計で建築提案。その後、修士課程の2年間でも引き続き町と関わりまちづくりプロジェクトの運営へ。この間、里山の意味、環境への意識、日本人としての自覚、、、多くのことを考え、文献を読み、広義の建築を学び思考した。これらをバックグラウンドとして、北京への留学。激変する北京に身を置くことに。
留学前の歯科検診で、1万人に1人しかいない歯牙腫と診断され、ショックを受ける。北京での留学一年間は、多国籍の友人たちと共に語学を学びつつ、清華大学の先生の下で設計の実務にたずさわる。いくつかのプロジェクト案に参加し、日本料理店の店舗の実施設計を行い完成させた。そのほか北京の住宅調査に参加し、最近の北京の住宅を見て回る。
留学中に知り合った方から、今の仕事を紹介される。留学一年ではとても足りず、多くの同学たちは帰国するもそのまま北京に居残ることに。2006年2月大学街の五道口から市街地の崇文門へ引越し。購入したマンションの傍にオフィスを構え、現在新居を内装工事中。しばらくは北京に定住となりそうだ。

大きな転機となった出会い
その1 高専の恩師
その2 松代町との出会い
その3 安田喜憲さんの著書との出会い
その4 今まで出会ったすべての人々
その5 ○○との出会い

Posted by tkm at 01:00 | Category : experience | Comments [12] | Trackbacks [179]